長いですがゆっくり
噛みしめて読みたい素敵な資料です。
上原公子氏「都議って何する人?~都議解体講座~」
<2012.3.17(土)13:30~ 新宿事務所にて>
【ダイジェスト版・目次】
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これまでの活動●
国立市での景観条例制定の経験●
東京都に対する食品安全条例の経験●
地元都議へのアプローチを!●
東京都は特殊な自治体●
東京都の持つ、大きな役割●
協力しない6つの言い分に「バカヤロー」 ●
「国民投票が憲法改正につながる」とは?●
「政府は間違うことがある」と書いてある憲法前文●
今回の原発問題は、第13条と第12条にあたる問題●
民主主義社会は、不断の努力なしに維持できない●
日本の市民活動が負け続ける理由●
「憲法」を使いこなすための教育●
広がっていく脱原発ネットワーク●
目覚めちゃった都民の、これからが大事
これまでの活動
5年前まで国立市の市長をしていた。地方分権一括法が施行されたときに、地方自治の申し子として、市長になった。
2人目の子どもを妊娠中に国立市の生活クラブに関わり、生まれ落ちると同時に初代委員長に。子どものおしめとミルクを持って、町中走り回り組織を作った。だから町中に友達がいる。それがベースになって市長になれたと思う。
もともと長女がアトピーで、「子どもによい石鹸を」というきっかけから、国立での生活クラブ立ち上げに関わり、初代委員長に。また当時(30年ほど前)、食品のことなどで日々悩んでいるのに、都議会に女性がほとんどいなかった。私たちの意思を代弁してくれる議員を出そうと、生活クラブから初の都議会議員・池田敦子さんを送り出すところから政治活動がスタート。事務局長を務めた。
国立市での景観条例制定の経験
直接請求運動というのは、市民が主権者として、条例を請求すること。法律や条例を決めるのは議会(憲法上で言えば国会が唯一の立法府)で、私たちは法律を作る権限はないが、地方の市町村、都道府県では、市民が主権者として条例を作ること、改正することを要求することができる。
議会は条例の制定権、決定権を持っている。市長は権限があるようだが、提案権と執行権しかなく、否決されれば何もできない。決定権がある議会、議員が一番強い。しかし議員はそのことにあまり自覚を持っていない。私の場合は、与党が少なく、提案しても議会が同意しないから、全部否決されることが長く続いた。本当は、都議会、市議会、区議会というところは、とても重要な役割を持っている。
国立市は長く直接請求は行われていなかったが、明和マンションという高層マンションが出来るにあたり、議員提案で景観条例を作ってほしい、という市民の要求があがった。しかし、私はこのマンション問題を議員提案でなく、市民が自覚的にこれを自分の問題として捉える直接請求運動に変えてもらい、成功した。
当時の市長は反対の意見書をつけ議会は否決したが、直接請求で数が集まったことに政治生命の危機を感じた市長は、その後すぐ行われた選挙で、景観条例を自分の公約にして作った。しかし、怒った市民は次の選挙で私を市長にした。
直接請求運動をしたから、市民の意識が高くなり、変えるという意識を持った。賛成する議員の数も増えた。国立はこの都民投票で直接請求は5回目。
町の政治は、議会制度があって間接的なことしかできないようになっているが、本来基本は直接民主主義。住民が直接なんでも決めるのが基本。人口が多いところではそれが難しいので、代表者を議会に送り込み、議会に代理行為をしてもらっているに過ぎない。主権者がさぼると、議員もさぼる。議会がうまく働くか働かないかは、私たちが主権者として、議員はちゃんとやってくれているのかを、いつもいつも見るという力関係による。
東京都に対する食品安全条例の経験
今回の都民投票に関しては、33万の署名が取れたというのは、確実に、ものすごい圧力になっている。
私たちが、チェルノブイリの事故直後、東京都に対する食品安全条例の制定を求める直接請求運動を行ったときには、55万の署名が集まった。そのとき、都議会初の3日間継続の審査をし、少数派だったので否決されたが、予算が倍増し、最終的に食品安全条例が出来た。そのとき驚いたのは、議会が否決しても直接請求運動が有効であるということ。食品の輸出元であるEU各国から東京都に、結果の問い合わせが相次いだ。そのことは緊張感を生み、たとえ議会が否決しようと、大きな影響力があった。
当時、都議・池田敦子さんが議会でバトルを展開。委員会で中心的な議論が行われるのだが、専門家についてもらって、細かい質問をした。局長の答弁のたびに、専門的なことを理解している係長から、課長、部長、と局長まで書類が手渡しされ、さざなみが起こった。それを3日間。やりとりが終わったあとは書類が散乱していた。真剣勝負だった。ちゃんと材料を持って、やり取りができる議員が議会にいる、ということが大きな力。議会のなかの数ではない。
区議に比べて、都議会議員のことは皆さんにわかりにくい。だから都議は楽。彼らの年俸は当時で1700万。ハイヤーも使い放題。質問するというと都庁職員が事務所に飛んでくる。税金をそれだけもらっているのであるから、その分働かせなければいけない。見えない都議の顔をひっぱり出して、見えるようにしていくことが大事。
地元都議へのアプローチを!
今回の都民投票に際して、都庁の会派回りもいいのだけれど、皆さんにまずやってほしいのは地元の事務所回り。そこで議論などする。これが一番効果が高い。地元の住民が、「見てるわよ、頑張ってくれれば、次のとき応援するかね」ぐらいの優しい気持ちで(笑)行く。都議選も来年ですから。
ぜひ、公開質問状を送り、どういう反応をするか見てもらいたい。政党は統一で出してくるからずるい。だから地元の議員を攻めてもらいたい。公開質問状を出し、「こういう直接請求運動ってどう思いますか」「都民投票ってどう思いますか」など、いろんな質問をし、その回答を地元で巻いてもらいたい。地域で頑張ったことを評価しているのかいないのか。
住民投票は議会の軽視、と言った人がいるそうだが、そういう議員は何もわかっていない。直接民主主義が基本、議会は市民の代理行為をしているに過ぎない。議員が市民の要求によって動くのは当たり前。信条、考えの違いはある。そのときには違うということをお互いに言って議論すればよい。違いを言ってくれないと議論にならない。だから、議員の役割を教えてあげる絶好のチャンスだと思う。
行政の説明責任と言われるが、それは議員も果たさなければいけない。市民の代理人だから。市民から票をいただいて当選し、私たちの税金で議員をやらせてあげているのだから、私たちにどういう状況になっているのか説明しなさい、と。あなたはどう考えるのか説明しなさい、と。説明責任を果たしていただくということが、とても大事。
地元事務所に行く、公開質問状で状況を知らせる、できたら地域の集会に各会派の議員を呼ぶ、そして「どういうふうに考えていらっしゃるんですか」と聞く。
そのときに原発の是非というよりは、都民投票という形で、重要な問題については都民がちゃんと意見表明し、決める権利を持っているということについて、どう思うかを聞き、議員の役割というような議論に発展していくと、彼らはとても緊張すると思う。
この活動を、主権者が議員を使いこなす、という関係を作っていくツールにしてほしい。主権者なのに、どうして「陳情」「請願」なのか、そもそも言葉がおかしい。そういう関係を変えていく。あなたたちはあくまで私たちの代理行為をしている、私たちが使える人になってほしい、と。
アメリカのロビー活動をしている人に、日本の政治家はおかしいと言われた。アメリカでは、私たちのために働かない議員は認めない、だから運動も一緒にやるのが当たり前。日本の議員は運動は傍観し、ただ議会で賛成・反対を言うだけ。決定権を持っているのに責任を負わない。だから日本の政治家はおかしくなるんだ、数ばっかりたくさんいて、と言われた。アメリカや、ヨーロッパ、北欧なども議員の数はとても少ない。兼任も多く、校長先生や裁判官をしている人が、議員になって、夜議会をやるという形。ところが日本では、議員は職業になっている。国立市でも、若い人が就職先がないからと議員になり、職員におだてられて全然勉強しないから、議員の質が落ちてきた。そういう人たちをちゃんと市民に引き戻すということも必要。
遠慮なく、皆さんが質問をした上で、公開討論会をし、結果もお知らせしていくということをしてほしい。大変だけれども。そういうことをすることによって、都議会議員が我々とだんだん一緒になっていく。それをやらないと、日本の民主主義は定着しないんだろうなと思う。
これまで都議会議員って全然知りませんでした、どういうお仕事だったんですか、これを機に仲良くしたいので、報告集会だけじゃなくて、いろんな場面に出てきてくださいよ、と、こちらがいろんな知恵を出し、努力をして引っ張り出さないと、彼らは高みでやっていくだけだろうと思っている。
東京都は特殊な自治体
東京都は昔は東京府といい、東京府東京市○○区、という区が15あった。なぜか東京府知事と東京市長は兼任というような特殊な状況だった。そもそも東京都の成り立ちが特殊なのである。
昭和18年に合併して東京市はなくなり、多摩地域が東京都に吸収された。なぜ多摩地域が東京都になったのか。それは、多摩川に唯一ある小河内(おごうち)ダム、これは万が一のための温存ダムなのだが、これを東京都のものとしたかったために、多摩地域を神奈川から東京都へ組み入れたというのが、どうも本音のようだ。
「水を制すものが国を制す」という言葉があるように、日本は「水を治める」ということが行政のなかの大きな仕事。日本は急峻な山からすぐ海に水が流れるので、農業のためにも水を溜めるという仕組みが重要になる。
市町村は地方公共団体といわれる自立した自治体。独自の権限をもって、県を挟みながらであるが、国ともやり取りができる。しかし、区は東京都の内包的な自治体で、特別公共団体、といわれる存在。もともと東京市のなかにあった、東京市の子どもで、半分しか自立できていない。現在はずいぶん権限が委譲されたが、まだ消防や上下水道などは都の所管。区は独自には決められない。
私は区も市になればよいと思っている。人口80万の区などよその県ほども大きいのに、権限は子ども。自立できない巨大都市というのはおかしい。早く自立した方がいいと思う。
23区の中には、人口は少なくお金が入るところ、貧困層を抱えるところなどいろいろあるが、区という子どもたちが不平等にならないように、東京都には財政調整制度という制度がある。一部、税金を都が集め、再分配している。したがって、区はすねをかじっていれば、財政的に困らない。破綻しないのである。
東京都の持つ、大きな役割
今、日本全体が財政的に大変ななか、東京都は本社機能が集積していて法人税が入ってくるので、一人勝ちの状態。
実は、東京都は、美濃部都政以来、日本全体の福祉の制度を上げるという大きな役割を持っていた。保育園、介護制度など、福祉制度は税金の負担割合がだいたい決まっており、国が半分、1/4が都道府県、残りの1/4を市町村が負担するようになっている。ただし、東京都は大都会で昔ながらの人間関係や地域サポートが期待できないというような特殊事情があるために、たとえばもう5%上乗せをする、国の厳しい基準をちょっと膨らませて、都民が使いやすいようにする、というような形で、都が都民の負担を軽減してきた。だから、地方に先んじて、東京都にいろんな福祉制度ができた。
東京都が、都民の生活のためにそうやって上乗せすることによって、実は国の制度も少しずつ変ってきた。そういう役割を東京都が担っていたのである。これだけの人口と経済力があるから、東京都が動けば国が変わるぐらいの力を持っていた。
ところが、石原知事は何をやったか。私に言わせれば、オリンピックや都民銀行など目立つパフォーマンスばかりで何もやっていない。
国全体が赤字になってきて、切り捨てを始めた。行革、事業仕分けなどと言って、もちろんいらないものもいっぱいあったので、それはいいのだが、見えないところでどんどん切り捨てをした。特に福祉の世界の人はよくご存知と思うけれど、補助制度をどんどん切り落とし、切り捨てられる人が増える仕組みになった。
たとえば市の福祉サービスへの補助金が8割に減ってしまった。でもこれまで10割あったサービスを、いまさら8割にできない。昔だったらここで東京都が不足の2割分、面倒を見たのを、国基準に合わせて東京都も切り捨てた。したがって市は独自に負担するしかない。これに対して、区はちゃんと面倒みてもらっている。これが「多摩格差」である。たとえば、杉並の隣は武蔵野市。道路を挟んでいるだけなのにサービスが違えば市民が怒る。お金がないのに、市は泣く泣くやらなくちゃいけない。市の負担が増える。多摩格差をなくすために交渉するのが市長会の大変な仕事であった。
石原は大黒字を出したが、それは今まで上乗せで補完してきたいろんなサービスを「国並み」という言い方で、切り捨てることによって生まれた。石原都政は福祉切り捨て、と私はずっと思ってきた。
たとえば、身近なところでは保健所を統廃合して広域にしてしまった。保健所の役割というのは、サーズなどなにかとんでもない病気が蔓延したときに高い専門性をもってすばやく対応できること。そういうとき自治体は何もできない。各自治体で保健所に代わる身近なサービスとして保険相談所という形にしたが、それは自治体が専門家をたくさん抱えられないから。結局住民に対して、十分に対応しきれない状態になった。そういうことが山ほどある。
小さな自治体ではできないものを広域でカバーするのが東京都の役割。だから東京都を無視してはとても生活できない状況にある。
全国の自治体から見ても、東京都は特殊な、しかし大きい役割を持っているのだから、もっと「東京都」の議員、都議会議員を私たちの代理人、代表者として持ってきて、東京都の役割をもう少し明確にさせていくことがとても重要ではないかと思う。
協力しない6つの言い分に「バカヤロー」
今回、都民投票の活動を通して、皆さん、がっかりしたことも多分あると思う。私もあった。ぷりぷり怒って書いたのが、お手元にある「都民投票で見えた民主主義」(資料⒈)という文章。
私はチェルノブイリ後、地域で原発の運動を続けてきた。その中で知り合った、昔から反原発運動を担ってきた人たちが、今回「都民投票」にみんな否定的だった。
皆さんが声をかけにくいところや下町地域の活動につなげたいと思い、ずいぶん話をしたが彼らは本当に後ろ向きだった。「冗談じゃないよ」と言って、喧嘩をした。
(資料⒈の)1枚目の下の方に「運動に協力しない彼らの言い分は」と書いたが、なぜ、運動を一生懸命やってきた人たちが、これに関しては一緒にやらない、と言ってきたか。①憲法改正の国民投票につながっていく、②法定数をクリアできなかったらどう責任とるんだ、③住民投票をして推進派が多かったらどうする、④1000万人署名の足をひっぱってしまうじゃないか、⑤我々は「脱」原発でなくて「反」原発である、⑥事前に相談がなかった(笑)、ちょっと笑ってしまうような理由ばかり。
真剣に今まで運動を担ってきた、原発に関してものすごい知識持った人たちが、これを平然と私に言うので、「バカヤロー」と思った。民主主義といいながら、結局、あなたがた、何もわかっていなかったのね、と。自分たちは運動を担ってきたリーダーと思ってきたのか、主権者をばかにしている、とカンカンに怒って、あちこちで言っていたら、「そう思うだろ」っていう人たちに「書け!」と言うことで書いた。
「国民投票が憲法改正につながる」とは?
私は、いろんなところに講演に行くが、必ず憲法の話をすることにしている。「憲法」というと難しく感じてあまり耳に入らないと思うが、①の「憲法改正につながる」と言った人たちのためにも、言いたい。
憲法上、法律を作るのは国会だけ、立法府は唯一国会、となっている。ただ憲法改正についてだけは、国会はできない。
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正については、国会は改正案を提案し、発議することしかできない。決定権はこのとき初めて国民が持ち、承認を経る方法として国民投票を行う、と憲法で決められている。
戦争ができない憲法を持っているのは日本だけ。この9条を改正をしたいという勢力が強くなっている。湾岸戦争の頃から国際的貢献という言い方がされるが、要するに、戦争のできる国にしたい、ということ。国民の世論もおそらく過半数以上という状態で、いよいよ憲法調査会で議論が始まり、同時に国民投票をするための手続きの法律、国民投票法も制定された。
改憲に反対する護憲派の人たちは、憲法改正のための国民投票法を作ること自体を認めない、一切議論をさせない、という言い方をしてきた。そのなかで今井一氏は、国民が決定権を持つと憲法上も保証されているのだから、それは違うだろうと言った。
そもそも憲法というのは絶対変えてはいけないものではない。外国では憲法を変えることはままあること。日本ほど頑固に守ってきたのは珍しい。
だから、変えてはいけない、議論もいけない、というのはやっぱりおかしい。議論は自由。本当に変えなきゃいけないことがあれば、変えることは可能。
護憲派が怖がっているのは、今、とても右傾化している時代に、自衛隊が戦争できる国にすると、日本が守り続けた平和が崩れること。
私もそれは、なんとしてでも守りたいと思っているが、だから国民投票させない、という言い方もおかしいと思い、今井さんが主催する「国民投票とは何か」という研究会に入っていた。国民投票法をずっと勉強するなかで、市民案を作ろうということになり、実は私も作る側にいた。
世界には、国民投票が当たり前の国がいくつもある。今井さんは世界中の国民投票を勉強していて、スイスの国民投票も、フランスでのEUの憲法の批准についての国民投票も直接見に行った。スイスでは国会提案の法律については×、国民が提案した法律については○、という結果になったことも見てきている。
フランスへは、当時、国民投票を作る調査会会長(当時)の中山太郎さんも見に行ったが、EUの憲法批准に対して国会内では圧倒的に「イエス」だったのが、国民は「ノー」。それをつぶさに見て、日本が今考えているような安易なものじゃない、国民の意見表明権など、今までの公職選挙法とはまったく違うものを作らなくちゃいけないと認識された。
今井さんは、国民投票をやるべきだ、やらないのはおかしいと、ガンガン言った。それは正しいことなのだが、護憲派にしてみれば、国民投票イコール憲法改正、彼が憲法改正の突破口を開く役割をしているととらえた。
憲法改正については、18項目もの付帯決議をつけた形ではあるが、国民投票の手続き法案が通り、法律上は動くようになっているため、確かに憲法の改正に動く可能性はある。しかし、私たちは憲法改正のためにこれをやろうと言っているのではない。本来私たちは主権者だ、ということをきちんと問い直そうと言っている。
また、今回私たちが提案している国民投票は、諮問型、要するに法的に制約を持つものではない。「参考にさせていただきます」というものである。
また、都民投票はご存知のように、地方自治法上認められている条例の制定の請求活動。だから国民投票とは違うものなのに、国民投票につながり憲法改正につながる、と思い込んでいる彼らの頭では「これに協力したら大変だ」となっている。
「政府は間違うことがある」と書いてある憲法前文
ただ、憲法改正させないという勢力がいつまでも強いとは思えない。だから私は、憲法改正の国民投票が行われて、自分の1票で決まるという状況に、いつなってもOKと言えるように、憲法の勉強もすべきだと思う。だから、今日も、皆さんに憲法のことを少しお話ししたい。
私は、市長になる前に4年間、憲法教室に通ったが、それはとてもよかった。議会でもわけのわからない人には「憲法上これは」と言うと次の質問が出ない(笑)。一ツ橋出版から出ている『憲法の解説』という本がわかりやすいので、買って読んでください。
憲法の条文はわかりにくいが、噛めば噛むほど、よくできている。
まず「憲法前文(資料2)」、皆さん、読んだことはあるけどなんとなく意味不明という方も多いと思うが、これはとても重要なところ。「民主主義社会とは何か」「主権者とは何か」というとき、私はいつもこれを使わせていただく。
特に3行目、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。
ここに、ものすごく重要なこと、政府が誤まることがある、と書いてある。政府が誤まったために戦争というとんでもない苦しみを私たちは経た、それをどう悔い改めるか。そのために作った憲法だということ。政府は誤まることがあるという前提がある。
戦前は、国民主権というものがなかった。高額納税者だけが選挙権を持つなど、一部の人だけが権利を持っていた。それを、すべての人が主権者であり、すべての人の人権が保障されている、と宣言するために、この憲法は出来ている。そして、政府が間違えそうになったときには、間違ってるから正しなさい、とちゃんと言う権限を皆さんが持っている。ここが重要なこと。
今回の都民投票は、そういう意味なのだ。我々が主権者として、地域のルールを作るために意思表示をする。政府、間違っているでしょ、と。原発政策を決断できない政府に対して、東京都民が決断をさせてあげますよ、と。主権者だから、その責任がある。
今回の原発問題は、第13条と第12条にあたる問題
私が一番基本にし、大事にしているのは第97条。
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
(日本国憲法 第97条は、日本国憲法第10章最高法規にある条文で、憲法の基本的人権の本質について規定している)
ここに書いてあるのは、この憲法が「人類の多年にわたる努力の成果」であって、永久不可侵の権利が基本的人権だということ。
第11条(資料3)にも、似たようなことが書いてある。
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」、
それから第13条
「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とする」。
基本的人権とは何か。要するに、一人ひとりが、自分らしく生きる権利を持っているということ。一人ひとり、私はこんなふうに生きたい、こんなふうな人生を送りたい、ということが尊重されている。
たとえば障害を持っていても、人間として自分らしい生き方をするためには、どんな制度が必要か、ということから、福祉制度が出来ていく。なんでも好き勝手やっていいわけじゃないが、その人らしく生きることを保障する。これが基本的人権。
憲法は概要だけで、細かいことは書いてない。13条(資料③)で保障されている「幸福の追求権」は、時代を経て、価値観が変わり、どんどん膨らんでいる。たとえば「個人情報コントロール権」。これは住基ネットで出てきた問題で、私は全国15カ所で裁判し、個人情報は個人にコントロールする権利があるということをやっと裁判所が認めたということがあった。
このように、幸福の追求権は追加されていく。自分らしく生きるために、昔は認められてなかった、必要なことが出てくる。だから私たちの日常の中で、意見を言っていくことがとても大事。
13条の前にある12条(資料3)には「憲法が国民に保障する権利は、国民の不断の努力において、これを保持しなければならない」とある。つまり、黙っていたら私たちの権利はもらえない。権利は不断の努力で獲得しなさいと書いてある。
今回の原発問題は、まさにこの13条と12条にあたることではないか。
私たちは、基本的人権、私たちらしく生きる権利を持っているが、今回の原発事故で、その権利の保障がないということを知った。そして、私たちには主権者としてちゃんと明確に意見を言う権利がある。だから、住民投票をやろう、という話。
議会無視でもなんでもない。「議会で税金もらってる皆さん」に、私たちは主権者として堂々と言う権利がある。それを保障するための住民投票は、当然できること。私たちの権利なのだから、やらせるのは当たり前、やれない理由を言いなさい、と言わなければいけない。「不断の努力」をし、その積み上げで、やっと私たちは、自分たちが自分らしく生きる社会を作ることができる。
民主主義社会は、不断の努力なしに維持できない
世論というのは、とても恐いもの。ヒットラーはとんでもない独裁者と評価されているが、当時ちゃんと法的な手続きを踏んでああいう国家を築きあげていった。これも、ある意味では民主主義社会。だから、恐いし、私たちは常にアンテナを張りつめて見ていなければいけない。
今回、署名活動で、皆さん、マスコミの恐さを知ったと思う。マスコミが何も言わないときにはなかなか伝わらず、後半「なんかダメらしいよ」と報道すると、「そんな中でやってたのか」と、世論がばーっと応援してくれた。マスコミ操作が、戦争のときも、いつも、社会を作る。だから、マスコミの役割も私たちが常にチェックしていなければいけない。
この原発問題も下手するとどんどん巻き返しが来る。そのとき、私たちが子どもの未来まで考えて、本当に自分らしく生きるために、原発がほんとにいいのかとマスコミに対しても言わなきゃいけない。
ヒットラーは世論を巧みに使って世界を作っていった。それを思っても、私たちが主権者として、本当に権利を獲得しながら、権利が保障される民主主義社会を作るのは、えらい大変なこと。少数派の意見は大事にするけれども、最後は多数決。だから、民主主義は、私たちの努力なしに維持できない。
古くから運動をやってきた人たちが「数集まらなかったらどうするの」「投票でもし推進派が勝ったらどうするの」と言うことにも、この点から私は怒った。だったら必死になって、一緒にやってくれればよいだけの話。彼らは憲法改正につながることも恐れているし、自信もないのだと思う。でも、それはすごく無責任ではないか? ほんとに原発のない社会を作りたいと思ったら、必死になって声をかける、それが運動。
皆さんも経験されたと思うけれども、隣の人に話していいのかなあ、隣近所の関係まずくなると困るからやめとこうかな、と思いながらおそるおそる言ったら、「そうなの、あなた、とってもいいわね」って思わぬ友達に出会ったり、仲間見つけたりするのが運動。
今回の原発事故に対して、東京の人は被害者意識をとても持っている。水道水や粉ミルクからも放射性物質が出て、とたんにみんな敏感になった。
しかし一方で、皆さんが言い続けたように、加害者でもある。東京都は東京電力の株主でもあり、電気を使う側でもあった。
八王子に行ったとき、「私は二重の加害者になっちゃった」という話をしたら、「自分は被害者だ。加害者と言ってほしくない」という人がいた。チェルノブイリ以後、ずっと反原発運動をやってきた、正しい運動をやってきたのだから加害者ではない、と。
私も運動はやってきた。でも、この原発依存の日本を変えられなかった。だから、残念だけれども、その責任はやっぱりある。正しい運動をしてきたから自分はいい、推進した人だけが間違っている、事故の責任はその人たちがとればいい、という話ではないと思う。私たちは国を変える力を持っていたのに、変えられなかったのだから。
日本の市民活動が負け続ける理由
だから、今回、隣の人に、おそるおそる話をして広げていく、ということがとっても大事だった。それを「負けたらどうする」なんて。「あんたの力が足りないんでしょうが」という話。「1000万人署名の足を引っ張る」もとんでもない、「先に話がこなかったから」というのも、ずいぶん聞いた。
確かに、私たちが生活クラブ中心に、食品の安全に関する直接請求運動で55万集めたときには、事前の準備に時間をかけた。いろんな生協や組織と1年以上話し込んで、協力のOKが出て初めて公表した。
そういう意味では、今回、性急すぎる面はある。今井さんの「やるよ」が先に出ちゃった。それで協力しないと言った人がずいぶんいたが、しかし、言いだしっぺは誰でもいい。原発問題は時間をかけてはいられないという状況もあり、誰かが声をあげなきゃいけなかったんだろう、と思う。そして、声が上がった限りにおいては、運動をやってきた人は少なくとも一緒にやるべきだった。
日本の市民運動が負け続けた理由は、すぐ分裂することにある。あの政党が入ってるからダメ、この組合が先にやったからダメ、あの人が嫌い、必ず些細なことで喧嘩し始める。私はいろんな運動をやってきたが、ここが一番悩ましい。いろんな組織があるのだから、全く一緒はあり得ない。「反」であろうと、「脱」であろうと、依存しないというところで一緒だったらいいのに、こだわるのが、ほんとにくだらない。だから、日本の市民運動は負け続ける。
私自身はもう絶対、原発依存しない社会を作ろうと思っている。私たちが生きる権利、そして、未来の子どもたちの生きる権利にまで、きちんと責任を負わなきゃいけないと思うから、「脱」でも「反」でもどっちでもいい、原発をなくす社会を作りたい。だから、この運動をやっている。思いが一緒なら、言葉ひとつどうでもいいではないか。
ドイツが素晴らしいのは、福島の原発事故を受けて脱原発を決めたのが、ナントカ専門委員会ではなくて、倫理委員会だったこと。日本は専門委員会みたいなところで決めたがるが、ドイツは、原発は人間の生存に関わる問題、人類にとっての倫理の問題だから、と結論を出した。ここに本当の違いがある。
「憲法」を使いこなすための教育
私たちが幸福の追求をするために、まず教育の権利がとても大事、教育を受けるということは、生きる選択肢を広げる。文字を書けることが職業の選択にもつながっていく。
皆さん、教育は義務だから、と当たり前に思ってるかもしれないけれど、世界中に学校へ行けない子は山ほどいる。文字が書けなければ、普通の事務職につけない。肉体労働しかない、そういう人生しか与えられない。
25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(資料4)というのがあって、それを国が保障しなきゃいけないから、国民健康保険や社会保障制度があるわけだが、私たちが人間らしく生きる、健康で文化的な最低限度の暮らしをする権利を持つためには、教育を受けることが必要。それもやっぱり権利(26条、資料4)。今の貧困社会を見ると、子どもたちが学校を辞めなきゃいけない事態がたくさん発生している。それは親が働きたくとも働けないから。26条に続く27条は、「労働の権利」(資料4)。ぜんぶ、つながっている。
私たちがそれを、きちんと権利として読み解いて、じゃあ、どういう努力をして、この権利を保障できるような社会を作るかと考えると、私たち一人ひとりが物を言っていくことが大事。それができる社会が民主主義社会だと思う。この私の書いた文章の最後に、自分たちが運動家だと思っている連中に叩きつけてやった、文章があります(笑)。
「いかなる方針を採用する場合にも、それを決定するものは国民の多数の意志でならなければならない。…国民の意志で決定した政府の方針は、時にはまちがうこともあるであろう。しかし、政治の決定権が国民の手にあるかぎり、さらに国民の意志によって政治の誤りを是正していくことが出来る。」
これが、民主主義社会。これはなぜか今井一さんにいただいた本で(笑)、彼はこういうの、ちゃんと読んでるから偉いと思うけれど、これは憲法制定の次の年に、文部省が中・高生のために作った教科書で、もともと上・下巻に分かれていた。今復刻版が出ているが、昔は「民主主義」を教えるために、これだけのボリュームの教科書を出していた。
新しい憲法を作って、国民主権ということ、皆さんが生きる権利を持つということを、みんなが学ばないと憲法を生かせない。憲法は飾っとくものじゃない。不断の努力ができるような人間形成をして、一緒に頑張って平和な社会を作るために、中学・高校で勉強してもらっていた。短い期間だったが。
長く運動やってる護憲派の皆さんは、この教科書を大事にしている。大事にしてたでしょ、なのに、なんなのよ、今回は、と言いたくて、投げつける言葉として、最後に入れた。
機会があったら、復刻版を見てください。ああ、すごい時代があったんだなあ、とわかる。上巻は昭和23年、下巻は昭和24年刊行で、私はこの本とともに生きてることになるが、学校であんまり習わなかったなと思う。憲法も民主主義も。
コスタリカの話はご存知かと思う。コスタリカは軍隊を持たない国として、日本では評価が高いのだが、9.11のテロ後に、ブッシュがただちに空爆するという宣言をしたとき――本当に恥ずかしい小泉くんも「賛成」とすばやく手をあげたが――、コスタリカも実は、政府として賛成の宣言をした。それに対して、当時大学生だった青年が、政府が発表したことは憲法違反であると一人で裁判所に訴えた。そして、軍隊を持たない国としてはおかしい、ということで、違憲判決が出て、政府は賛成を取り下げた。
実はその青年と対談をしたことがあって、「すごいわね。あなたの国では、みんな、そんなに憲法を教えてもらうんだ」と言ったら、もちろん学校でも教えてもらうけれど、日常的に親たち、周りの大人たちがいつも憲法の話をする、と言う。それはあなたの権利だ、ちゃんと主張していいのだということを、大人が言うのだと。たとえば学校の向こう側の道路で、道路工事をしている音がうるさくて授業に差し障りがある、というときに、小学生が裁判所に電話して「授業を受ける権利が侵害されてます、憲法違反だと思います」と言う。それを裁判所がちゃんと聞いてくれるのだ、と。日本はそういうことないでしょう? だって、憲法読まない。学校でも三原則しか教えない。
いずれ、憲法改正の話が出たときに、堂々と、どうぞ出して下さいと。私たちが正しく判断をします、と言うためには、憲法を使いこなさなければ。使いこなしてもないのに、憲法改正もないだろうと思っている。
広がっていく脱原発ネットワーク
ついでながら、とってもいい報告があるので、ぜひ、いろんなところで使ってほしい。1月14、15日に横浜で行われた脱原発世界会議で、「首長会議」というパネルディスカッションがあり、私もパネラーとして参加した。パネラーは計8名、当事者として二葉町長と南相馬市長、東京都から私と世田谷区長・保坂さん、それから浜岡原発を抱えて揺れている静岡から、湖西市長と牧之原市長。また、東海村近くの長生村(ちょうせいむら)の村長――彼は私の市長時代に出した、有事法制と国民保護法の本を読んで、勉強させてください、と来た人で、今頑張っていますが――と、新潟県巻町から、原発の建設計画を住民投票で追い出したときの町長が集まった。メッセージも、今回の福島の事故を経て原発絶対反対と変わった東海村村長はじめ、6通届いた。
8人集まってこれ一発で終わるのもったいないから、全国で「脱原発首長会議」なる組織を作りませんか、と提案させていただいたら、「いいんじゃない」「よし、やれ」というので、動き始めた。脱原発世界会議では、海外のメディアからもすごく注目されて、今、これがピースボートの目玉になっている。
4月28日に第1回設立総会を行うが、呼びかけ人に市町村長がもう16人になった。きっとみんな入るよ、なんて言っている。自分の住むところの首長が脱原発を宣言する、これはすごいこと。いろんなことができる。
この会議には脱原発の社会を目指して、4つ、大きなテーマがある。1つはまさに脱原発社会を作ること。そして、そのために再生可能エネルギーの具体的な事業を地域の中ですること。そのために先進国、ドイツ以外にもたくさんある情報、ノウハウを共有しながら、実現させていくこと。それから二度と原発のことを忘れないために、私たちの責任として、日本中で被ばくをした子どもたちを支援し続けること。夏休みの受け入れや、安全な食料を送るなど、今、市民活動が苦労しているが、各自治体で首長が参加すればとても大きい。
実際に、再生可能エネルギーを町で作ることは、産業にもつながっていく。地域の中で企業と連携しながら、新しい地域エネルギーを産業としてできれば経済効果も高い。飯田哲也さんも協力することになった。
そこへ、また昨日、「脱原発中小企業ネット」というのができるといういい話があった。地域の中小企業の人たちとも連携ができる。
議員たちも、前から「福島被ばく者支援の情報ネットワーク」を全国137人で立ち上げて、法律を作らせよう、などとやってきた。市民、議員、企業、自治体と、全部一緒になって、ひょっとするとものすごくいい町が作れる可能性が出てきた。入らなきゃ損、というぐらいに、みんなで頑張ろうと言っている。
こういう時代に、今、本当に変わってきた。
静岡県の牧之原はホンダ、スズキ…と、企業がいっぱいあり、潤ってのんびりしている市だが、東海地震も怖いのに原発が爆発したらどうなるのか、と議会が「脱原発宣言」しようというのに、市長が引き気味でいた。そこに、市の主要企業であるスズキ自動車会長から、脱原発しないともう半分ひきあげるぞ、と言われて、市長も動いた。
もし浜岡に何かあったら、企業にとっても大打撃。地域の経済もつぶすけれど、今、世界に輸出している企業などは大打撃を受けている。今までずっと、経済のために、産業のために、原発は必要だと推進派が言ってきたが、地域経済も輸出産業もうまくいかないとなれば、企業界も原発推進と言ってられないのだ、と。まさにその通り。企業も近くに原発ない方がいい。中小企業の脱原発ネットワークは、かまぼこの鈴廣の副会長が代表だが、それこそ海産物を扱っている会社だ。
だから、経済が大事、と言う人たちに対しても、経済にも影響があるでしょうと言える。私たちは、ちゃんと決めなきゃいけない時代に来ましたね、と。
それぞれが頑張ってネットワーク組むことで、新しい社会作りに希望が持てる。皆さんが頑張って33万集めたことも、もし5万しか集まらなかったら、そら見ろと言われたけれども、これだけの仕事を成し遂げたということが、新しい時代を変える、ものすごい大きな力になっていると思う。
目覚めちゃった都民の、これからが大事
この都民投票の活動は、これだけ署名が集まったのだから効果はある。都議会議員は、来年選挙だし、ぐらっとくると思う。
ぜひ、地元でやってほしい。あなたのこと、見てるからね、これからどんどん仲良くして付き合おうね、と。都議会の様子、都議会議員の仕事、知らなかった、教えてくださいと、どんどん引っ張り出す。それは都議にはこわいこと。
私たちは主権者として、法律上認められている直接請求運動、大変厳しかった署名活動を成し遂げた。これが次に大きな力になるように、私たちはやらなければいけない。これで終わっちゃあ、それっきり。向こうもやらしときゃいいよ、議会で否決すればいいからと、なってしまう。だから、私はこれからの運動の方が大事だと思う。不断の努力をし続ける。うっかりすると、都民目覚めちゃったから大変だというふうにした方がいいと思う。
最後に、今回、都民投票において、とても大事な憲法92条を。憲法92条は、第8章「地方自治」という章にある。世界の憲法の中でも、章だてでわざわざ地方自治を書いているところはないと聞いているが、地方自治に関することがいくつかあって、第92条には「地方自治の基本的原則」が、簡単に書いてある。
第92条 地方公共団体の組織および運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律でこれを定める。
「地方公共団体」は市町村。「組織および運営」、市役所、区役所の組織や運営に関する事項は、「地方自治の本旨に基づいて法律でこれを定める」。この、「地方自治の本旨に基づいて」のところがとても大事。
「地方自治の本旨」とはなんぞやというと、地域に住んでいる住民が自分たちの町をこういうふうにしたいという意思を持つ、その意思に基づいて、市役所、区役所は運営をしなきゃいけない、ということ。ここが国民主権。皆さんの意思を問わなきゃいけないのだし、皆さんの意思決定を議会でしなきゃいけない。だから、本来、皆さんが意思を持たなければ、決定はできない。
でも勝手に議会が決めて、そんなこと知らなかった、ということが多いのだから、行政だけじゃなく、決定をする議会にも説明責任、必要性があるという最初の話に戻る。
第8章「地方自治」は、英語では「rocal government」。「government」、まさに統治者、統治をする者となる。ローカルなガバメントで、中央のガバメントと対等、平等と言われるのは、ここが所以。対等に、仕事を分けてるに過ぎない。
だから、あくまで地域のことは、地域の人たちが決める。必要なことはみんなで直接請求、条例の制定を要求することができる。我々のやっているのは当たり前のこと、きちんと法律に基づいて、憲法に保障された「基本的人権」を、まさに実行するために、自治体にやらせるための仕組みとして、この直接請求の運動があり、住民投票というのをやろうという話なのである。
【しばけん】
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