☆「原発」都民投票の会の仲間が地域で繰り広げている活動を紹介します☆
『「村上達也氏×上原公子氏トークセッション」“原発、景観、市民自治”』が
11月24日(日)国立市一橋大学東キャンパスにて行われました。
村上元東海村村長と上原公子元国立市長の、二人の希有な勇気ある自治体首長のお話を、いま、国民、市民の権利が脅かされているこの時に伺うことができ、本当に有意義な時間であったと思います。
村上氏
「1999年JCOの事故が起こるまで、原発はあまり好きな文化ではないが、仕方がないと思っていた。でも、事故が起こり、何を守らなければいけないか、と考えた時に村民の命であると思った。開発、経済成長ではなく、人、命を大切にする、これが大事だと、水俣から学んだ。わたしは、上原さんの裁判を知り、怒りに震えた。今日の共催団体のひとつの名称に“魔女裁判”というのがあるが、この裁判はまさに魔女狩り裁判だ。これは、上原さんをスケープゴートにした、国立市的な市民(もの言う市民)を潰そうとしていると思った。」
上原氏
「豊かさはお金じゃない。キリストはなぜパンとワインを持っているか。一般的に肉体と血の象徴とされるが、わたしは、パンは経済、ワインは心の豊かさを表していると思う。人間はパンのみに生きるにあらず。この国立の大学通りの景観も、その豊かさのひとつ。そして、これは、何の努力もせずに存在するのではなく、市民が守り育てて来たもの。“まちづくり”ということばは、国立発の言葉。
戦後、立川に米軍の基地ができて、米兵相手の売春婦が街角に立ち、下宿がそのための宿に変わるようになった時、経済的豊かさを捨て、敢えて文教地区指定を取り、そういった店を建てさせないという選択をした。それが国立市民。市は財政的な苦しさを理由に、学校を作らなかったのだが、そこでも市民、特に割烹着をきたようなお母さん達が、市の財政を学び、無駄を見つけ、学校を立てる予算を出した。国立には市民が政治に関わってきたすごい歴史がある。
でも、市民は、自分達の思いがある程度叶うと忘れてしまう。わたしが市長になった時には、市民運動から初めて市長を出したと喜びに満ち、議会の傍聴にも毎回200人が押し寄せたが、2期目に入ると、ほとんど来なくなり、上原にまかせておけばいいと、おまかせ民主主義に陥ったことも一時はあった。しかし、3.11以降、市民がたちあがっている。日本人には、革命はできないかもしれない。でも、『一揆』がある。子どものために、生きさせろ!という一揆をおこそう。」
コーディネーターの 寺西俊一 一橋大教授
「1600年代英国の哲学者、ジョン・ロックは、『市民政府論』の中で『シビル(civil)・ガバメント=市民の利益を守る政府』と『シビック(civic)・ガバメント=市民による政府』を区別して唱えている。日本の全国の自治体の政治レベルは、未だシビル・ガバメントにも向かっていないが、上原さんが市長時代に目指したのは、シビルを飛び越え、シビック・ガバメント、『市民による政治』であったと思う。」
そして、各地で上原さんと活動をともにされる方々のお話も、とても力強いもので、都民投票の会運営委員の柳浦さんのお話も心に響き、あとで村上氏が「あのような若者がいてくれて、うれしい」と語られていました。
上原さんの裁判の弁護団の窪田弁護士は、この裁判は、単に上原さん個人の問題ではなく、
市民の権利の侵害で、国立市民、日本国民すべての問題。これを看過するわけにはいかないと。
大学通り高層マンション問題がどうにも改善されなく行き詰まった時、それまで建築物の「高さ制限」は東京都しかできないとされていたが、都市計画法改正によって、市民の大方の合意と市の条例があれば実現できることになったとの情報を市民自ら得た。自分達の土地の権利も狭めてしまう建築物の高さ制限を20mとする「中3丁目地区計画案」を作り、地権者の82%の同意を数日間で取り付け、それを当時の上原市長に提出。条例制定を求めた。こんなことは、普通ありえない。自分達の財産を減らしても、環境の豊かさを選択したというすごいもの。国立市民は、もっと市民自治を守って来た歴史を誇りにしていい。それを忘れてはいけない。
判決は、12月24日、クリスマスイブ!
市民自治のために、全精力をかけた首長を孤立させてはいけない。
いま一度、市民の力を集めて、全力で上原さんを支えたい。
署名にどうか、ご協力ください!
そして、判決当日、裁判所の傍聴席を市民で溢れさせましょう!
クリスマスイブに、本当の豊かさというワインを味わうために。
(レポート 矢田)
※なお、このトークセッションの模様はIWJでインターネット中継され、アーカイブ(録画)がこちらでご覧になれます。→ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/113178
『「村上達也氏×上原公子氏トークセッション」“原発、景観、市民自治”』が
11月24日(日)国立市一橋大学東キャンパスにて行われました。
村上元東海村村長と上原公子元国立市長の、二人の希有な勇気ある自治体首長のお話を、いま、国民、市民の権利が脅かされているこの時に伺うことができ、本当に有意義な時間であったと思います。
村上氏
「1999年JCOの事故が起こるまで、原発はあまり好きな文化ではないが、仕方がないと思っていた。でも、事故が起こり、何を守らなければいけないか、と考えた時に村民の命であると思った。開発、経済成長ではなく、人、命を大切にする、これが大事だと、水俣から学んだ。わたしは、上原さんの裁判を知り、怒りに震えた。今日の共催団体のひとつの名称に“魔女裁判”というのがあるが、この裁判はまさに魔女狩り裁判だ。これは、上原さんをスケープゴートにした、国立市的な市民(もの言う市民)を潰そうとしていると思った。」
上原氏
「豊かさはお金じゃない。キリストはなぜパンとワインを持っているか。一般的に肉体と血の象徴とされるが、わたしは、パンは経済、ワインは心の豊かさを表していると思う。人間はパンのみに生きるにあらず。この国立の大学通りの景観も、その豊かさのひとつ。そして、これは、何の努力もせずに存在するのではなく、市民が守り育てて来たもの。“まちづくり”ということばは、国立発の言葉。
戦後、立川に米軍の基地ができて、米兵相手の売春婦が街角に立ち、下宿がそのための宿に変わるようになった時、経済的豊かさを捨て、敢えて文教地区指定を取り、そういった店を建てさせないという選択をした。それが国立市民。市は財政的な苦しさを理由に、学校を作らなかったのだが、そこでも市民、特に割烹着をきたようなお母さん達が、市の財政を学び、無駄を見つけ、学校を立てる予算を出した。国立には市民が政治に関わってきたすごい歴史がある。
でも、市民は、自分達の思いがある程度叶うと忘れてしまう。わたしが市長になった時には、市民運動から初めて市長を出したと喜びに満ち、議会の傍聴にも毎回200人が押し寄せたが、2期目に入ると、ほとんど来なくなり、上原にまかせておけばいいと、おまかせ民主主義に陥ったことも一時はあった。しかし、3.11以降、市民がたちあがっている。日本人には、革命はできないかもしれない。でも、『一揆』がある。子どものために、生きさせろ!という一揆をおこそう。」
コーディネーターの 寺西俊一 一橋大教授
「1600年代英国の哲学者、ジョン・ロックは、『市民政府論』の中で『シビル(civil)・ガバメント=市民の利益を守る政府』と『シビック(civic)・ガバメント=市民による政府』を区別して唱えている。日本の全国の自治体の政治レベルは、未だシビル・ガバメントにも向かっていないが、上原さんが市長時代に目指したのは、シビルを飛び越え、シビック・ガバメント、『市民による政治』であったと思う。」
そして、各地で上原さんと活動をともにされる方々のお話も、とても力強いもので、都民投票の会運営委員の柳浦さんのお話も心に響き、あとで村上氏が「あのような若者がいてくれて、うれしい」と語られていました。
上原さんの裁判の弁護団の窪田弁護士は、この裁判は、単に上原さん個人の問題ではなく、
市民の権利の侵害で、国立市民、日本国民すべての問題。これを看過するわけにはいかないと。
大学通り高層マンション問題がどうにも改善されなく行き詰まった時、それまで建築物の「高さ制限」は東京都しかできないとされていたが、都市計画法改正によって、市民の大方の合意と市の条例があれば実現できることになったとの情報を市民自ら得た。自分達の土地の権利も狭めてしまう建築物の高さ制限を20mとする「中3丁目地区計画案」を作り、地権者の82%の同意を数日間で取り付け、それを当時の上原市長に提出。条例制定を求めた。こんなことは、普通ありえない。自分達の財産を減らしても、環境の豊かさを選択したというすごいもの。国立市民は、もっと市民自治を守って来た歴史を誇りにしていい。それを忘れてはいけない。
判決は、12月24日、クリスマスイブ!
市民自治のために、全精力をかけた首長を孤立させてはいけない。
いま一度、市民の力を集めて、全力で上原さんを支えたい。
署名にどうか、ご協力ください!
そして、判決当日、裁判所の傍聴席を市民で溢れさせましょう!
クリスマスイブに、本当の豊かさというワインを味わうために。
(レポート 矢田)
※なお、このトークセッションの模様はIWJでインターネット中継され、アーカイブ(録画)がこちらでご覧になれます。→ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/113178
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